人間を推すことの対価?
※漫画のネタバレあります
女性漫画家集団CLAMPの漫画で初めて買ってもらったのは「カードキャプターさくら」の7巻だった。なぜ7巻かというと、漫画に登場する魔法のカードが「クロウカード」から「さくらカード」に変わり、魔法の杖もリニューアルしたのが7巻のタイミングで、それが表紙に描かれていたからだ。アニメの「カードキャプターさくら」も見ていたが、当然杖が変わったのは漫画が先だったので、新章スタートのそこから読むことにした…のだと思う、たぶん。
たぶん、というのは、小さい頃の私は自分で漫画を選び買うことがほぼなかったため、記憶があやふやなのである。私の家はおこづかい制ではなく、買ってほしいものを親に伝え、許しが出たら買ってもらえるという家だった。しかし、幼い頃の私はあまり自己主張が強くなく(今もだが)欲しいと思うものも少なかった。なので漫画は母親が私の好きそうなものかつ、あまり内容が過激ではないものを選び買い与えていた。
小学生の時にライトノベルにはまった時期があり(最初に読んだ作品も母が買ってきたもの)自分でもいろいろと探すようになった。少し背伸びをしたい時期でもあったし、いわゆる中二病になりつつあるときだったので、クラスメイトが殺し合うような残虐な話に心惹かれ、「これが欲しい」とそういった作品のあらすじを母に見せた。母から購入の許しは出なかった。別の、平和でかわいらしい内容のライトノベルをすすめられ、それを買うことになったが、私はその日一日ふてくされ、家に帰ってからも母との会話は無かった。
それでも、成長と共に買い与えられる漫画の内容も大人向けに少しずつなっていった。CLAMPの「ツバサ」、「xxxHOLiC」という作品に、さくらや小狼といったこれまでのCLAMP作品のキャラクターが登場することを知り、興味を持った。そして母もCLAMP作品が比較的好きだったので、それらを買ってもらうことに成功した。
「xxxHOLiC」は、対価と引き換えにどんな願いも叶えてくれる店を舞台とした物語で、アニメ化、実写映画化、舞台化もされた。店主である侑子さんの「この世に偶然なんてない、あるのは必然だけ」というセリフは、幼い私の心に印象深く残った。
この作品の登場人物の中で私が、「中二病的共感」(?)をしていたのが、九軒(くのぎ)ひまわりという女の子である。主人公である四月一日君尋(わたぬききみひろ)が好意を寄せる人物だが、彼女は不幸な体質の持ち主であった。それは、彼女と関わりを持った人を不幸に導いてしまう、というものである。その体質のため、人と極力深い関係を持たないようにしていたが、四月一日にも力が影響を及ぼしてしまい、彼女は苦しむ。
ひまわりちゃんは、最初に見たときから、この子なにか怪しいなと思わせる存在だった。明るくて、かわいくて、癒し系な印象に反して、やはり抱えている闇はとても悲しいものであった。
なぜ、私が恥ずかしくもそんなひまわりちゃんに自分を重ねてしまったかというと、私が好きになる人たちがことごとく問題を起こし、いわゆる「不幸」に陥ってしまった時期があるからである。
まず、私の人生で初めての推しともいえるアイドルが未成年飲酒で謹慎になった。その事件が起こる前日、ひどい頭痛がしてしんどかったのだが、次の日新聞を読んで絶望。更に体調は悪くなり、お風呂でめちゃくちゃ泣いた。
次に、好きだった女優が過激な発言をきっかけに世間でバッシングされるようになり、彼女のイメージが問題を起こす女優になってしまった。友達に好きな女優を聞かれて彼女だと答えると趣味を疑われた。
そして、好きな俳優が自らを危険な目にさらした後、表舞台から姿を消してしまった。
これらが立て続けに起きたとき、私はひまわりちゃんのことを思い出していた。好きになった人たちが「不幸」になってしまうのは、たとえそれが一生会うことのない芸能人であったとしても、とても辛いことだなぁと彼女に共感した。
そんな感じで、私には推しを故意に作らなかった時期がある。なんとなく、自分が好きになった人には良くないことが起こるんだと思ってしまっていた。友達との好きな芸能人トークにも参加出来ず、話も弾まなかった。
……まぁこれって、今考えると好きになる人の身を案じて、というより、好きになった自分が傷つきたくなかったがゆえの判断なのである。自分をひまわりちゃんだと思い悲劇のヒロインぶって、若気の至りの恥ずかしさがすごいが……結局好きな人を周りに公言して、なにか起きてしまったときに彼ら・彼女らを推している私自身がいじられることが嫌だったのだと思う。プライドが高すぎる臆病者が私だ。
でも、なんやかんやそのプライドを乗り越えて、その後、新たな推しもたくさんできた。推しを新たにつくったからといって、彼らに不幸が訪れることはほぼなく、私の中二病的ひまわりちゃんジンクスも終わりを告げた。好きになって傷つくことも度々あったけど、その傷を負うリスクがあるのが、生身の人間を推すことの対価なのかもしれないなと思う。
いい大人になった今は、推しが燃えたり(炎上的な意味で)しても「まぁ人間だししょうがないか」で流したいし、時間が経つことが一番の薬なので、なにかあったとしてもくよくよせず、時の流れに身を任せたい……。
でも、できれば、私の好きになる人たちはみんな「幸せ」になって欲しいよね!泣